審神者日誌

4年目からの審神者日誌。相模国 初期刀:蜂須賀

雑談~現状の蜂須賀虎徹のメディアミックスの出番について~

また色々メディアミックス関係で動きがあって
蜂須賀の扱いが…という意見を見てしまって、
自分も蜂須賀の厄介オタクだと多少自覚はあるのですが、
扱いに対して
もちろん出番の多い刀に比べたら少ないとは思うけど
扱いが少ない=扱いが悪いとは思わないんですよね。

 

描かれるべきところではちゃんと描かれてるし。
話として広げられるか、
となると難しいのでメディアミックスの出番が少ないという現状はあるけれど。

 

始まりの五振りのメディアミックスでの出番について

ステで主役ポジションになってから
加州と初期刀二枚看板のようになったまんばちゃん。
加州は新選組の刀なのでそもそも歴史ネタとしてすごく広げやすい。

 

そしてまんばちゃん。無双でも大活躍のまんばちゃん。
話として描きやすい、わかりやすい部分としては「写し」というコンプレックスがあること。

そのためにも長義が顕現したのかなというマーケティング感は多少感じるけど
長義はとくびさんでも目玉になるような刀なので遅かれ早かれ
顕現はしてたんじゃないかなと思ってる。

でもこれって極で変わったように、
コンプレックスを克服しても刀としての軸がぶれる部分ではないんですよね。
まんばちゃんはコンプレックスがあるけど元から芯の強い刀として描かれてたし。
長義が「偽物」って呼ぶ部分も多分長義の極で変わるんだろうなと思うし。
まんばちゃんの「写し」コンプレックスは長義も含めて
変化をドラマチックに描きやすい。

 

なので特にこの二振りがメディアミックスの中心的立ち位置にいるのは
すごく納得してる。
好きか嫌いかで聞かれたら加州もまんばちゃんも好きだし。

 

歌仙のメディアミックスで目立つ部分としては
ステで歌仙中心の公演があったこと。無双に出演したこと。
でも無双は歌仙の掘り下げという感じのストーリーではなかったので
無双のまんばちゃんと同じ量の掘り下げだと言われると首を傾げる。

 

むっちゃんは活撃で準主役ぐらいの位置にいた。ミュで公演があった。
多分次花丸の映画で特命調査に焦点があたる。
数がちょっと多いものの焦点の当たり方でいえば蜂須賀と同じぐらいの印象。

 

蜂須賀は今のところメディアミックスではミュが一番露出が多くて
時点花丸2期で結構出番あったなという印象です。

確かにメディアミックスの出番は少ないので
だから蜂須賀虎徹という刀のことがわからないかと言われると
いや…そんなことないぞ…蜂須賀が虎徹として常に誇り高くあろうとしてる刀で
それこそが彼の個性だってことは十分描かれてるじゃん…と思ってしまう。

 

蜂須賀虎徹の関係性として一番描きやすいであろう
「贋作」と「真作」って掘り下げは出来るけど
「写しと偽物」のように解決できる部分ではないんですよね。
「贋作」を「虎徹」として認めてしまったらそれはもう蜂須賀の「虎徹」としての
軸がなくなってしまうし。

だから蜂須賀は長曽祢のことを刀としての実力は認めてるけど
虎徹」として認めることは出来ない。
多少態度が柔らかくなることはあるけど、本当の兄弟にはどうやったってなれない。
蜂須賀自身が「虎徹はただ強く美しくあればいい」と思っていても
世の中は「贋作」と線を引いてしまったから。

「贋作」と「真作」の関係性のドラマチックな変化は書けないんですよ…

 

そんな描きづらいなかでミュと花丸の虎徹回は
絶妙に蜂須賀と長曽祢のミリ単位の歩みよりを描いてくれたことに感謝しかない。
花丸でミュージカルもしたんだよ!!!???なんで??ありがとう!!!!!

 

2022年5月31日の出来事ですが、
ミュージカル刀剣乱舞『幕末天狼傳』のコミカライズが決まったとのことで
蜂須賀をミュに選んでくれてありがとうという旨のつぶやきをなんとなくしたら
結構共感を頂いていて驚いてしまった。

同じ気持ちの審神者がいっぱいいたんだなぁと改めて。

 

扱いが悪いっていうのは出番の少なさとかじゃなくて
本当にキャラについてなんにも掘り下げられない、
出番がある度に性格が変わっているような扱いなんじゃないかなと思う。

 

欲を出すならミュで特命調査天保江戸やってよ!!!の気持ちはある

 

 

蜂須賀虎徹のメディアミックスの立ち位置

Twitterでもちょっと語ったけど蜂須賀の個性って「虎徹」であることが
一番だと私は思っていて。
その「虎徹」であるために「強く優しくありたい」って手紙をくれたのが
本家のゲームの蜂須賀で。

 

「強く優しくありたい」ってめちゃくちゃわかりずらいじゃん。
メディアミックスの役割って結局はコンテンツの展開のため話題性とか
伝わりやすさ、展開のし易さが重要になってくるので
その中で刀剣乱舞の蜂須賀虎徹に向いている役割、向いてない役割っていうのは
どうしても出てくるとは思う。

それを扱いが悪いという人がいて、離れてしまうのは
コンテンツを提供する側も承知の上だと思う。
他の出番の多い初期刀推しの友人と一緒に審神者やってたら
友人がまた推しいるーー!ってなってる横で蜂須賀…ってなる気持ちは
まぁすごいわかる。

 

ミュージカルに出ていなかったら蜂須賀虎徹についての今の印象が
違っていたのは間違いないので
蜂須賀が好きでミュージカル刀剣乱舞に触れていない審神者だとしたら
蜂須賀のことがわからない、扱いが悪いという意見はもっともだと思う。

 

というかミュージカルでの蜂須賀の扱いはむしろいいんですよ。
出陣している公演では隊長だし、ライブがメインの公演の
真剣乱舞祭では一人だけ新衣装をもらったこともあるし、
三日月に対峙する場面も多いので、ミュージカル刀剣乱舞内での
始まりの五振りとしての役割は十分すぎるほど果たしてる。

 

 

大侵寇防人作戦

三日月に対しての態度から感じる印象が
ミュージカルの蜂須賀虎徹、極の手紙と一緒だったんですよ。
基本的に優しくて、相手の意見を尊重する。

メディアミックスが先行しがちではあるけれど
刀剣乱舞の蜂須賀虎徹の芯の部分は変わらないんだなと
その時にすごく実感した。

 

防人作戦の前哨戦、一言二言三日月とやりとりする部分でも
まったく印象変わらなかった。
真剣乱舞祭2016の蜂須賀を思い出した。
三日月に対峙した時、同じような空気だったなぁと。
防人作戦の何年も前に演じてる公演なので
参考に出来るはずがないのに、でも思い出したんですよ。

三日月の言葉を真摯に受け止めて理解しようとする姿勢だった。
そういう蜂須賀虎徹を。

 

 

結局のところ蜂須賀虎徹の扱いが悪いのかって話に戻ると
冒頭で述べたように「扱いが少ない=扱いが悪いとは思わない」という
結論になるし、
審神者個人個人が取り入れているメディアミックスの量によって
その印象は変わってしまうので、それを緩和するためにそれこそ
ミュージカルのコミカライズ、舞台の戯曲本があったりするんだと思う。

 

それこそ始まりの五振りじゃない刀でメディアミックスでも出番が少ない刀もいるわけで。

キャラクター重視のコンテンツで全てのキャラを完全に平等に扱えというのは
極論、出来ているコンテンツなんてないんじゃないかと思う。

 

そんな推し戦国時代でなにが出来るかっていうと
やっぱり推しの出番があった時に全力で応援して、
反響があることをコンテンツ提供側に届けることが一番なんじゃないかということで
今回は結びにしようかな。